建具には襖(ふすま)、障子(しょうじ)がありますがその歴史には平安時代から鎌倉時代にかけて建具に襖や障子の引き戸方式の建具が設けられるようになりました。
障子(しょうじ)とは、日本家屋にあって扉、窓に用いる建具の一つです。
明かりを通すように木枠に縦横に細い桟(組子)を入れ、これに紙を張ったものです。
単に障子と言えば一般的には「明かり障子」のことを指します。
扉を閉じたまま採光できるという機能は画期的であったろうとおもわれます。
それまで室外との隔ては、従来壁面を除き蔀戸(しとみど)や舞良戸(まらいど)が主体であり、開放すると雨風を防ぐ事ができず、非常にに不便な建具でした。
採光と隔ての機能を果たすため、簾や格子などが使用されていましたが、冬期においては寒さを凌ぎにくかったようです。明るさを優先するために室内では、屏風(びょうぶ)をめぐらし、几帳(きちょう)で囲み火鉢を抱え込んだようです。
もともとは、現在の「襖」も含めて衝立(ついたて)や屏風など部屋を仕切ったり、視界をさえぎるもの一般を障子と呼びました。
平安時代末期の頃になって紙を貼ることで、採光がもたらされると「明かり子」として襖から独立した地位を得るようになりました。襖の誕生から約一世紀後のことだったと言われています。
室町時代になると、書院造りに使用される下部を板張りにした腰付障子が登場し、桃山時代には、数寄屋造りに使われる腰の低い障子が登場します。
そして、江戸時代には、組子に意匠を凝らした多種多様な障子が作られます。このように、障子は日本の住宅にとって欠かせない建具として、時代とともに様々な変化を遂げました。
今日ガラスやカーテンが普及するようになって使用は減ったものの、ガラス併用の障子なども作られつづけています。
蔀 戸(しとみど)
(奈良末期~平安時代)
板の両面に格子を組んだ戸のことで、風雨を遮るためものです。長押 (なげし) から内側または外側に水平に吊上げます。軒または天井から下げた金具に引っかけて留めます。写真のように上下2枚に分れ,上半分だけ上げるものを半蔀 (はじとみ) または、小蔀(こじとみ)といいます。
普通の蔀が横長に用いられるのに対して縦長に立て並べて用いられるるものを縦蔀(たてじとみ)といいます。
寝殿造,住宅風仏堂,神社の拝殿などに用いられています。
舞良戸(まらいど)
(平安時代後期)
書院造りの建具のひとつです。二本の縦框(たてかまち)の間に板を張り、その表側に舞良子(まいらこ)とよぶ桟(さん)を横に細かい間隔で入れた引き違い戸です。この形式の戸は、平安時代の巻物には既に描かれているが、当時は槍戸(やりど)と呼ばれていました。なお舞良戸の語源は明らかではありません。
同じ平安時代のものですが、その違いは、舞良戸が主として外部に面する部分に用いられました。
書院造りというのは、
室町末~桃山時代に完成した武家住宅の形式で、今日の住宅の原型となったとされています。内部空間は,接客部分,家族の生活部分,台所など使用人の生活部分などに区分されています。
襖戸(ふすま)は和室の間仕切り、押入、欄間などに使う建具で木製の枠組みの両面に紙または布を張ったものが一般です。また、和室側面を襖仕上げ洋間側を合板材などの仕様の建具を戸襖(とぶすま)と呼びます 。
古くから日本の住まいに使用され日々進化してきた建具、家に障子や襖があるご家庭は時代をさかのぼって建具の働きを考えてみるのも面白いかも知れません。
リニュアル仲介渡辺でした。
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